Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

震災後美術に向けて-1

本日の読売新聞の編集手帳に次の記述がありました。
「日本人は「戦後×年」という数え方で歳月の里程標を刻んできた◆3・11を境に「戦後」は終わり、「災後」がはじまる——政治学者の御厨貴(みくりやたかし)さんが本紙に寄せた文章にそうある。
政治の姿も、経済の仕組みも、暮らしも一変せざるを得ない、との指摘には多くの人がうなずくだろう◆原発危機が終息に向かうかどうかは予断を許さず、1万人を超す不明者の安否も分かっていない。厳密には「災後」の手前、「災中」にある◆原発の事故現場では、いまこの瞬間も被曝(ひばく)の危険と隣り合わせで、放射能の汚染水と闘う作業員がいる」
 私は昭和21年2月26日生まれですから、戦中に命を授かり戦後に生まれたのは確かです。そんな私が一月前に65歳を迎えた途端に、市役所から介護保険料納入通知書が送られて来ました。名実共に高齢者の仲間入りでこれからどれくらい生きれるかという人生の最終段階に足を踏み入れたわけです。
そして、3.11が突然にやってきました。この未曾有の震災復興に30兆円くらいかかるという予測が出ています。国を一つ作り替える規模の予算に思えます。
引用したように(まだ、その文章を私は読んではいないのですが)、本日の編集手帳で御厨先生が「災後」という時代区分:キーワードを提示されたとあります。そのコンセプトを敷衍すると私の最後の活躍の場は「震災後社会」であり、その分野は「震災後美術」と言う事になります。最後に災後の磁場に生きる。この地平では戦後美術の歩みを3.11で断ち切る形で位置づけていくことになります。戦後の前衛の歩みはこの時局で完全に終わりを告げたのです。(オタク文化、マイクロ・ポップ、ネオテニーなども再考され淘汰され、今のままぬくぬくと生き延びるわけにはいかないと考えます。)このコンセプトは期せずして、私が数年前から実践して来た地域興しの後衛美術論と符合します。前を走って人々に道を示すのではなく、人々と並走しつつ後部から自助努力、自己発見を促すよう押してやるという役目を果たすあり方です。
でもこのように高邁に理論付けしていくことは、私の役割とするところではありません。私の役割は、出来得る小さな実践を積み上げる事です。
新たな時代の新たな理論の生成に向けて、これまで戦後の歩みのしがらみに囚われない美術界の優れた新星:才能が出て指導性を発揮してほしいものと考えています。