Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

東北のニュース

1.福島のニュース(福島民報
総額3億円余支払へ 県内酪農3団体廃棄原乳の補填代金 
 放射性物質が国の基準値以上で廃棄された3月分の原乳に対して、福島県農業協同組合、全農県本部、小野町地区酪農業協同組合の3団体は、補填(ほてん)代金として総額3億700万円を支払うことを18日、県酪農業協同組合の理事会で決定した。
 3団体の酪農家数は計約520戸で、県内の酪農家の9割以上がいずれかに所属している。4月25日に各酪農家の口座に振り込まれる。
 今年3月1日から同11日までの各酪農家の原乳出荷量から、1日当たりの出荷量を割り出し、1キロ当たり約100円で計算して補填額を決めた。原発被害で、やむなく避難している浜通りなどの酪農家も対象になる。4月以降も基本的には、同じ方法で補填するが、状況を分析してあらためて判断する。
 3億700万円は、県酪農業協同組合の上部団体で東北6県の原乳を取り扱う東北生乳販売農業協同組合連合会(東北生乳販連)から借り受け支払う。支払い後、東京電力原発災害の補償金として請求する。
 福島県県酪農業協同組合の但野忠義組合長は「廃棄分の原乳の扱いが、どうなるのか心配している酪農家が多かった。物入りな月末に補填代金を支払うために決定を急いだ。少しでも助けになれば」と話した。
(2011/04/19 10:08)

2.東日本大震災:先人は知っていた 歴史街道」浸水せず(毎日新聞)


津波浸水図※東北大学防災科学研究拠点事務所の資料・国土地理院航空写真を基に作成)
 東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400〜500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。

 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。

 同平野は明治以降も繰り返し津波に見舞われた三陸海岸と比べ、津波被害の頻度が少ないとされる。慶長津波の浸水域は明らかになっていないが、内陸約4キロの山のふもとまで船が漂流したとの記録がある。東北大の別の研究チームによれば、今回の津波は海岸線から最大5キロ程度に達し、平安時代貞観地震(869年)の浸水域をやや上回った。

 平川教授は「残念ながら明治以降の開発において、津波の経験は失われた。復興のまちづくりは災害の歴史を重視して取り組んでほしい」と話している。[八田浩輔]
3.河北新報のページより
http://jyoho.kahoku.co.jp/imagedb/cgi-bin/user_shinsai_search.cgi