Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

GUNの堀川•堀川のGUN-1

今日は、朝7時の電車で東京へ出て、色々と用件を果たし、5時より「GUNの軌跡」展のセッティングです。モバイルではないので、ブログは2日間お休みです。

以下に紹介する冊子〔新潟現代美術家集団GUNの軌跡1967-1975」は会期中、会場で2000円で頒布いたします。

新潟現代美術家集団GUNの軌跡1967-1975」出版
熱く無垢な思い貫く-前衛目指した活動を総括;

 GUNは1967年に結成された。高度経済成長の真っただ中、「美術手帖」にはダダイズムやハプニング、発注芸術、環境芸術などの新しい美術の特集が組まれ、篠原有司男による反芸術の「前衛への道」が連載。そして、地元「長岡現代美術館」で国内外の最先端の作品を目の当たりにし奮い立った。まさに天の時、地の利であった。GUNは中央—地方の文化構造と既成画壇からの脱却を志向し、前衛アートへの夢を抱いて生まれた。大学を卒業したばかりの前山忠がマニフェストを担当し、名実共に牽引役を果たした。結成に参加した私は、まだ在学中だった。
GUNの前衛らしさは、県内各地の街頭そしてテレビでハプニングを展開したことにあった。

可能性を求め、敢えて不確かな行為に懸けたことはかけがえのない輝きを持っている。70年2月には「雪のイメージを変えるイベント」という大輪を炸裂させる機会を得た。その「雪アート」はアサヒグラフ、「芸術生活」などの全国メディアに同時的に発信され、最前衛に躍り出た。(写真撮影:羽永光利)

この直後、私が東京ビエンナーレ「人間と物質」展招待。(写真:毎日新聞社提供)

71年に前山と私の「ことばとイメージ展」、そして前山の「毎日現代美術展」招待と、GUNを背負った作家として大きな舞台が続く。その後、佐藤秀治や関根哲男らが加わって新展開。メールアートへの没入や政治的路線へと傾斜。その戦略なき非芸術的展開で芸術的羅針盤を一時見失ってしまう。が、また立ち上がり「眠り込むな」展などの活動を継続。74年には、「雪アート」が講談社「アート・ナウ」美術全集に取り上げられ、国内の現代美術史に刻印。75年の白根山頂で石を並べて「GUN」と大書したイベントが活動の区切りとなった。GUNは激動した70年前後のグループとして時代とスパークしつつ疾走したわけである。
そんなGUNの作品・記憶は骨董のように時間の化粧で受け入れられてきている面もあるが、その立場は基本的に孤立無援。結成40年を経た今日、記録や資料を残しておかなければとの思いから、前山とパソコンを駆使して編集した。そこに、NYを拠点に活躍されている美術史家の富井玲子氏から、「雪のイメージを変えるイベント」を世界の現代美術史に着地させようとする論文を書き下ろしていただいくこともできた。GUNは世界に響いた作品を作り得たと言える。
 この度の出版の意義は、GUNという過去の伝承や美化のためではない。GUNという活動に自己評価を加え、自立させるためである。その編集作業で改めて感じ、見たものは、不可逆な時間軸を貫く熱くて無垢なアートへの思いであった。その思いが自らを再々構築させてくれたと確信する。人生は有限である。だから私のアートも有限である。その有限さを超える可能性はアートのメタな部分のクオリティにある。凡庸さを排し、確かな戦略のもとに最後の最後まで、アートへの初心・前衛を目指し続けたい。             
(GUN創設メンバー 堀川紀夫)<新潟日報 2008.6.12号に掲載>