Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

GUNの前山•前山のGUN

昨日紹介した「あいだ」158号のインタビュー記事から、前山忠が1971年現代日本美術展で出品作品を撤去した事案に関する部分を掲載(引用)させていただき、その現場で撮影した写真を掲載します。まずは白黒写真で。壁面には大きな旗が3枚。机には反戦ステッカー4種類、カンパ箱とそれへの呼びかけ。GUNの機関誌。沢山の人が関心を示してくれていました。


開幕して一週後の休日に見に行きました。すでに事務局によりカンパ箱が撤去されていて、硬貨が幾つかむき出しに置かれています。

■毎日現代展での作品撤去事件「あいだ・158号より」
 前山 まあ、そんな状況のなかで、71年
の第10回現代日本美術展には、ズバリ「反
軍」「反帝」「反戦」の巨大な布3枚の「反
戦旗」を出品しました。
 これと併せて、ベトナム反戦や小西反軍
闘争への決起とカンパを訴えるビラ(<GUN>
機関紙)も“展示”しました。ところが、都
美術館は、このカンパを呼び掛ける行為は
同館の管理運営規則に違反すると通告して
くると同時に、一方的にカンパ箱を撤去し
てしまったのです。
 驚いた私は、すぐに主催者の毎日新聞社
の担当者と会い、抗議しました。その内容
は、反戦旗、反戦ビラおよびステッカー、
カンパ箱のすべてが全体として一つの作品
を形成するものであるから、カンパ箱の撤
去は作品成立の土台を崩してしまい、表現
の自由を侵害する、ということが一つ。
もう一つは、鑑賞者が作品を見て自主的
にチラシを持ち帰り、併せてカンパを置い
ていく行為そのものが作品の一部であるか
ら、撤去は鑑賞の自由をも侵害する、とい
うこと。
 以上二点について強く迫りました。
 しかし、担当責任者のほうは「主催者と
しては、美術館の規則にしたがって会場を
借りている立場で……」と型どおりの答え
を繰り返し、うつむくのみ。同展の招待部
門をプロデュースした針生一郎氏にも連絡
を取って、主催者とともに美術館に抗議し
何とか元の状態に戻してほしい、と訴えま
したが、残念ながら実ある打開にはつなが
りませんでした。
 ラチが明かないのに業を煮やして、私は
美術館に直接抗議し、カンパ箱を戻すよう
迫りましたが、「規則だから」の一点張り。
そこで、作品の一部を欠いた展示は表現上
自ら許すことができない、と全作品の自主
撤去で抗議の意志を文書(内容証明書)で表
明・送付しました。その後、美術館から、カン
パ箱撤去前に机に置かれたお金2千円いく
らかと反戦旗などが送られてきました。
 こんなことは現在では考えられないかも
知れませんが、当時は「表現の自由」がそ
の程度にしか理解されていなかったという
ことです。

 ----これは<GUN>としての活動としてと
らえていいのでしょうか? それとも個人とし
ての活動?

 前山 旗の一枚には<GUN>の名前も入
れてますが、基本的には私個人の作品であ
り活動です。前にも言ったとおり、<GUN>
はこの時期、メンバーがそれぞれ<GUN>
を名乗って自由勝手に表現し発表していた
時期。したがって、<GUN>としての組織
的な討議や合意を必要としなかったし、実
際そのように動いていました。各メンバー
がそれぞれ<GUN>を体現していたとも言
えるので、個人作品と<GUN>の名による
作品とを明確に区別するのは困難で、曖昧
ながら分かちがたい関係にあったと思いま
す。いわば、漠然ながら表現・活動が全体
として<GUN>を自覚させていたというこ
とでしょう。


関係者との話し合いの現場です。

反戦ステッカー4種類。60年代末に上越市で創業のシルク印刷工場(品川アート・プロ)で作成したものです。今も変色なし。

前山さんが机上の一部を片付けています。