Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

絵画の歩み-1

1980年代の後半から「絵の具を使う作品」を開始し、1999年ころまで熱心に取り組んできていた。2000〜2001年に一つの転機があった。それは2000年のアジア現代美術展と大地の芸術祭、2001年のTate Modernでの「Century City展」への出品のこと。その直後の2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロが起きた。
そして今、日本は民主党へと政権交代アメリカはブッシュからオバマへ。そして「オバマ大統領のノーベル平和賞受賞」。
この8年間は絵を熱心に描く気になれず、ブッシュそして小泉、安倍、福田、麻生の時代への明確な対立軸から表現を紡いできていた。しかし、今は支持する政党の政権になってしまった。
また、今年の3月からブログを開始し、そこに「E-mail Stamps Series」などを発表するようになったら、それらを画廊で発表する必然、必要性はなくなった。社会状況も変わって、時事的、社会的、政治的、反戦平和的表現が内包するactuality、actualな存在感が希薄になってきている。しばらくは静観あるいは様子を見るということである。
今年は大地の芸術祭で野外作品「Sky Catcher '09」を発表した。それは、野外のその場所で見るための作品なのだから、その記録をわざわざ画廊に持ち込んでもずれた話になってしまう。
とにかく今は5〜6種類くらいの表現を同時的に展開している。それらの作品の中には自分自身が死んでしまえば全く無意味となる作品もある。生きている内に残す価値あるものを取捨選択しておかなければと思っている。
私の代表的な作品である「石を送るメールアート」は中断を経て復活し40年以上の継続となってきている。その経緯をまとめて出版することを計画しているがまだ道は半ばである。
随分荒っぽいとりまとめであるが、来年の2月のギャラリー檜での個展は色々と迷った結果、絵画でやることにした。
大学は教育学部の中学校美術科西洋画専攻であったので、絵はかなり描いていた。先日亡くなった同級生のA君とは一時ライバル意識を燃やして絵にエネルギーを注いだこともあった。
大学に入学した年は普通のデッサンや風景、人物などの課題をこなしていた。2年になってから抽象的な絵を開始した。今日は、大学2〜3年の頃の作品を掲載する。
2年の頃の写真(19か20歳)である。44年前の顔である。

2年に描いた最初の抽象画(油彩)。新潟県展に入選。タイトルは「たわむれる群」だった。

3年の作品「かなしき群集」シリーズ。このような空間に広がるイメージは今の絵画にもつながっている。キャンバスにも描いたが、高価なのでベニヤ板やテント地に膠を塗った自作キャンバスに描いていた。



県展で奨励賞を受けた作品(P50号)。


二紀会に入選した作品(P60号)。

2年の後半頃から長岡現代美術館で「アメリカ現代美術」などを見始めたことや3年の後半に、前山忠に連れられて作家を訪問したりして影響を受け、自己の表現を改革しようとした。

大学4年の時に新潟現代美術家集団GUNの結成に参加。以後、中学校教師の傍ら作家活動を展開してきた。初心は「美術の教師をしながら作品を色々な展覧会に発表したい」ということだったので、その初心は貫いたと言える。美術作家として作品を売ることを真剣に考えるようになったのは教職を退いてからであり、4年前からである。