Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年12月以降

大阪万博以降、11月に三島由紀夫の自殺があったりで、時代は閉塞感を増してきていた。その中で、小西反軍闘争に関心が向いて行く。そこには、反戦平和への希望があった。前山さんと新潟まで裁判闘争に出かけて行ったわけだが、前山さんはわざわざそのためのハガキを印刷して発送し、決起を呼びかけている。三枚の行動を呼びかけるハガキが残っている。しかも、1月29日の場合は発送者の名前に精神生理学研究所と記載している。第2期の精神生理学研究所に参加する活動の一環としての位置づけもあったのである。この強引な関係づけ、非関係を関係させることで他の地域の研究所に迷惑をかけることにもなった。公安警察の要注意リストに載ってしまったようなのである。



この1971年3月1日には、ヘルメット姿で記念撮影している。何を考えていたか、アートの一環と考えていたのである。前山は、この後大きな反戦,反帝、反軍の旗を5月の毎日現代展に出品するのである。

http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090404/1238787162
デモはジグザクするために加わると機動隊に腕を掴まれたり、盾で押されたりする。逮捕されたれば身分も危ういので、2度目からは加わらなかった。そして、機動隊の動きを撮影することにした。

3月1日に撮った写真を絵はがきに仕立てて7月3日に発送している。作品発表の一つのスタイル、シリーズとしての意識が働いている。写真の現像は学校の現像室を使用していた。何名に発送していたか記録はない。


この絵はがきシリーズはしばらく続く。今後掲載する。